ブザービーターではなかった

旧ホーネッツ時代からクロック・オペレーターを務め、先月1000試合に達した男性の記事を読んでいたら、ホーネッツ史上初めてプレイオフ1stラウンドを突破したアロンゾ・モーニングのブザービーターが本当はブザービーターではなかったことを初めて知りました。

だって、たいがいのハイライトはこれじゃないですか~。


実は続きがあったとか。



クロック・オペレーターの仕事も知らないので誤訳が不安ですが…
After more than 1,000 games, Hornets clock operator Richard Ward still keeping time
BY RICK BONNELL

リチャード・ウォードはホーネッツのホームゲームでいつも最前列のど真ん中という特等席に座る。
まだシャーロット・コロシアム時代の1990年からその席を守るために、彼は本能に反したことを身につけなければならなかった:ゲームを観戦するな。
ボールなしで動く選手も、誰がスクリーンをセットしたかも、特定のショットが時宜を得たものだったかどうかも。彼の任務はひたすらボールを追跡すること。それがバスケットをくぐるか、アウト・オブ・バウンズになるまで。

ウォードはシャーロットのゲームクロック・オペレーターだ。レギュラーシーズンとプレイオフで1000試合以上ボタンに指を載せてきた。NBAファイナルも12試合経験し、アトランタ・オリンピックでも仕事をした。
この26年に及ぶ継続中のキャリアは、オリジナル・ホーネッツのほとんど通りそうもない6試合のトライアウトから始まった。「コールバックなど予想もしなかったほどひどい出来だった」と、ウォードは回想した。

ホーネッツはちょうど初代のクロック・オペレーターを手放して、緊急に代わりを探していた。当時のコロシアムのアドニス・ジェラルズ副支配人が、プレー経験もコーチ経験もレフェリー経験もあるウォードにアプローチした。
しかし、彼は一度もゲーム・クロックを担当したことはなかった。

ジェラルズはウォードにNBAのルールブックを渡し、勉強するように言った。その翌日、ウォードは非公式な小テストに合格して6試合のトライアウトに臨んだ。
そして …

あるレフェリーに「起きろ!」と叱られたこともある。恥ずかしかったが、ためになった。
「私は集中することに慣れていなかったので、時計のスタートかストップを忘れたんだ」
それは、四分の一世紀の間、彼を支えた啓示になった。優秀なクロック・オペレーターであるためには、自分をアクションから引き離さなければならない。コンマ1秒が試合結果を左右するのだから。

‘Royal screw up’ in playoffs
おそらくホーネッツ史上最も歴史的な試合が、ウォードにとってその好例となった。

1993年、ホーネッツは初めてプレイオフに出場し、1stラウンドでボストン・セルティックスと対戦した。あと1勝で ニューヨーク・ニックスとの2ndラウンドへ勝ち進めるホームゲーム。アロンゾ・モーニングがトップ・オブ・ザ・キーから奇跡的なジャンプショットを決め、チームメイトがZOの上に殺到したとき、ウォードは人間的な感情の餌食になった。

彼は反応するより喝采してしまい、ボールがネットをくぐったところで時計を止めなかった。
「レフェリーがやって来て叱りつけられたことしか覚えていない。私の信用は吹き飛んだ」
「セルティックスはすでに(敗退したと思って)コートを後にしていたため、レフェリーが連れ戻さなくてはいけなかった」

これは、レフェリーが自分たちの笛に同調するハイテク装置を装備している現代とは違う。そこで、審判団は協議し、10分の4秒が正しいと決めて、セルティックスにボールを与えた。
ディー・ブラウンがケンドール・ギルの上から決めていれば、セルティックスは決戦の第5戦のためにボストンへ戻ることができたのだ。

Advice from Garretson
ウォードはその大失敗を乗り越え、成長した。彼は早くから、ベテラン・レフェリーのダレル・ギャレットソンにアドバイスを求め、メンターとした。
時間とともに、ウォードは自分の責務がアクションをストップし、スタートさせることで、良いクロック・オペレーターは交通警官のようなものだと理解した。

交代する選手がボックス内に控えているか把握するような付属的な仕事もあった。ウォードは率先してレフェリーの手助けを始め、たとえばレフェリーに次のデッドボールが義務的なタイムアウトを意味すると合図するのを習慣にしていた。
それが評価された。NBAが、プレイオフのクロック・オペレーターは中立な都市の者でなければならないというシステムを採用したので、春に実入りのいい仕事ができた。そして、ファイナルのスリルとプレッシャーも。

「それは、私のキャリアのピークだ」と、ウォードは言った。
ウォードは、サンアントニオ・スパーズとマイアミ・ヒートが対戦した2013年のファイナルで働いた。レフェリーが終盤のプレーをレビューしたとき、
「(ティム)ダンカンが、してはいけない場面で交代してゲームに入った」と、ウォードは回想した。
「電話の呼び出しで、なぜ彼がゲームに入るのを許可したか説明を求められた。私は、認めていないと答えた。彼は(報告に)来なかった。(タイムアウトがコールされなかったのでイリーガルな選手交代だった)」
「それは、私の人生最大のプレッシャーだった。心臓が胸を突き抜けそうだった。文字通り、全世界が見ていたあの舞台で、私は失敗などできない」
(*この辺、知識がないのですが、そんなことあったんですか?

2月上旬、ウォードはNBAで1000試合目の仕事をした。ホーネッツは彼にゲームボールを贈呈した。

66歳のウォードは本業のIBMから引退した。あとどれくらいボタンに指を載せ続ける?
「あと10年かな」と、ウォードは答えた。「インディアナには90歳近くまで務めた人もいるんだよ」

コメントの投稿

非公開コメント

No title

そのファイナルは、たすかスパーズか勝っててもおかしくなかたシリーズで最後にダンカンがフロアバンバンやて悔しがったのは覚えてんだぬ

で、なんかダンガンが交代でやらかしてたような…あ、FT絡みの交代のときだたかな? このシリーズは、しっかり見てたんだけど記憶があやふやだぬ

あのシリーズは、第5戦まではスパーズ優勢で3勝2敗だたのが第6戦をオーバータイムで落とし最終戦でこのシリーズ不調だたレブを本調子にしちゃってまけたんだよぬー

No title

とても興味深く読ませてもらいました。
クロック・オペレーターにもこんなドラマがあるのですね。
翻訳ありがとうございました。

No title

◎いつもは鍵コメな人さん
私もダンカンがめずらしいほど悔しさ剥き出しだったシーンは記憶にあるんですけど…。
交代で何かやらかしたようなこともあったんですね。
それもスパーズには珍しいことですね。

ブルズのファイナルだったら、もっといろいろ覚えているんだけどな~。(^_^;)


◎ぞのさん
なかなか大変な仕事ですよね。
しかも、本業があるということは専業ではないわけですし。

お粗末な翻訳でお目汚しいたしました。(^_^;)

No title

えーと、なんか、ダンカンが交代認められなくてレフリーからコート外に連れ出されてたみたいなことが第7戦の最後の方であたような気がすんだけど、それがなんでだったのかはよく覚えてないんだよぬー

No title

あ、交代できなかた理由は思いだせなかたけど、たしかこのファイナル前に離婚訴訟が起きててファイナル後に離婚が決まったんじゃなかたかな?

ファイナル中は裁判中断で、

でも奥さん応援に来てたような…

No title

あ~ダンカンが離婚で何だかんだの頃でしたっけ…。

ダンカンでも結婚相手を選び間違ったりするんだな~と意外だったな。(^_^;)

>でも奥さん応援に来てたような…

んじゃ、円満離婚だったんですかね。
MJなんか離婚した日に元夫婦そろって息子の試合の応援に来て、しかも隣同士とかで座ってて不思議だったデス。

No title

よく覚えてないけど、離婚理由はスレ違い生活が一番の理由じゃなかたかな?

No title

けど、スレ違い生活は現役だったらデフォですよねぇ。

ああ、現役が想定外に長引いたからもう耐えられないってことか。(^_^;)

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
05年4月から08年12月まで
My Dear Airness
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
お気に入り
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
INFO
内容と関係ない宣伝目的のコメント・トラックバックは無断で削除する場合があります。どうぞご了承ください。
プロフィール

まき

Author:まき
趣味:マイケル・ジョーダン

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード