入手の経緯

昨日だか、いつものようにmichael jordanで記事検索すると、ユタ・ジャズの元ボールボーイが“Flu Game”のゲーム着用シューズをオークションに出品する、という話題(*参照)がまた並んでいて、オークション開始間近だから?と思ったら、その元ボールボーイさんが地元紙のソルトレイク・トリビューンで当時のいきさつを明かしていたわけです。面白かったので、やっつけで読んでみました・・・手抜きはご容赦。
今さらですが英語はホントに苦手です~。んで、何かうまく日本語にならないし~。

ちなみに、オークションについてはこちら

The Salt Lake Tribune: Ex-Jazz ball boy selling Jordan’s shoes from legendary ‘Flu Game’
(シューズにサインしているところや、彼にタオルをかけてもらっているところの写真あり)

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Courtesy of Preston Truman Michael Jordan sits on the Chicago Bulls bench at the Delta Center during the "Flu Game," in which he led the bulls to a 3-2 NBA Finals lead on June 11, 1997. Seated on the floor at right is former Utah Jazz ballboy Preston Truman.

デイビス・カウンティ銀行の貸金庫には、サイズ13の一対が15年間収納されていた。
プレストン・トルーマンがマイケル・ジョーダンの伝説的な「フル・ゲーム」で着用されたスニーカーを手に入れるために必要だったのは、少しの勇気と数個のアップルソースのカップだった。

元ジャズ・ボールボーイの話は1996年11月から始まる。レギュラーシーズンの試合前、ジョーダンがシューズのひもを結ぶ間、トルーマンはぽかんと口をあけて立っていた。
「なあ」と、ジョーダンはシカゴ・ブルズのトレーナー、チップ・シェーファーに声をかけた。「俺のグラハムクラッカーとアップルソースは?」
シェーファーは他の選手のテーピングを中断して、バッグを捜した。グラハムクラッカーはあったがソースは見つからず、ジョーダンはトルーマンに頼った。
「アップルソースが用意されなかったら、試合後ボールボーイにはサインしてやらないぞ」

ティップオフまで45分、トルーマンは「マイケル・ジョーダンのためにアップルソースを探しているんだけど」と叫びながらデルタ・センターの中を走り回った。一階と二階は人けがなく、三階の食品貯蔵室の女性が業務用サイズの缶を渡してくれた。彼はスプーンと缶切りも手に入れて、にんまりしているジョーダンに進呈するために全力疾走で戻った。
「頼りになるな」と彼は言い、ボールボーイの名前を尋ねた。

ブルズはその試合に負け、帰り際、サインを求める人々からのアイテムが載ったテーブルを通り過ぎるとき、MJは少し不機嫌だった。しかし、彼はトルーマンを見て、ポケットにあったトレーディングカードにサインするために立ち止まってくれた。「たぶん、6月にまた会うだろう」と、彼は言った。

――――

トルーマンは第3戦、第4戦、第5戦のビジター・ロッカールームの担当になり、計画を立てた。彼はシューズが欲しかった。ただのエア・ジョーダンではなく、ジョーダンのシューズを。彼は母親にグラハムクラッカーとセネカ・アップルソースを買ってきてもらい、MJのロッカーに用意した。

「覚えていてくれたのか?」と、ジョーダンは尋ねた。「プレストンだったな?」
彼はなんとか叫ばずにいた。「はい、僕はあなたのお世話をするためにここにいます」
ジョーダンは、有難いねと言った。

ジャズは連勝し、シリーズは2勝2敗の五分になった。そして、第5戦の前、医師とトレーナーがバイタルをチェックしたとき、ジョーダンの食中毒は明白だった。彼は奥の部屋で横になり、部屋を出て行く人たちに灯りを消してくれと頼んだ。
トルーマンは部屋に入ったが、ジョーダンの目が閉じられるのを見て引き返そうとした。ジョーダンは彼に気づいて、チケットの手配を頼んだ。
ところが、トルーマンはまず、かがみこんでささやいた・・・あとから思えば正気の沙汰だったか疑わしい行動・・・「試合後、シューズはどうかしますか?」
ジョーダンは彼に目を向けた。「欲しいのか?」
「光栄です」と、彼は答えた。

――――

トルーマンはその夜、ジョーダンがプレーすることを最初に知った一人だった。ブルズのフィル・ジャクソンHCがコートへ出るためにチームを集めたとき、ジョーダンもようやく起き上がり、自分のジャージを着た。彼は、タイムアウトでベンチへ戻るのも苦しそうなジョーダンを見た。ハーフタイムには、アップルソースの小さなカップ3つのために、ジョーダンにスプーンを運んだ。医師たちからしばらく休むように提案されたジョーダンが、「お断りだ」と答えるのを聞いた。

トルーマンの両親は、ジョーダンをタオルで包んでその肩を軽く叩く生涯のジャスファンである息子の姿をテレビで見て、あとで息子をからかった。

ジョーダンが決勝シュートを決め、スコッティ・ピッペンの腕にもたれかかり、かろうじて立っていられたとき、トルーマンはそこから5フィートも離れていなかった。
「何度も何度もこのシーンを見るだろうな、と思ったよ」

試合後、トルーマンが自分の仕事をしている間、シューズはジョーダンのドレッシングテーブルの下にあった。チャールズ・バークリーがロッカールームに立ち寄ったとき、ボールボーイはうろたえた。レギュラーシーズンの試合後、ブライアン・ラッセルがジョーダンにシューズをくれと頼んでいたことがあったからだ。さらに、1996年のファイナルでゲイリー・ペイトンが同じことをして非難を招いたこともあった。しかし、チャックはシューズをもらわずに立ち去った。

ジョーダンはシャワーを浴びて、服を着た。エキップメント・マネージャーがシューズを片付けようと手を伸ばしたとき、MJはトルーマンを指して、「それは彼のものだ」と止めた。それから、ボディガードの1人が写真を撮っている間に両方のシューズにサインをし、トルーマンの頭をなでて出て行った。

――――

次のシーズン、Fanzzストアで働いていたトルーマンのところへ現金が入った封筒を携えた男性が訪ねてきた。1万1000ドルある、と彼は言った。シューズを譲ってほしいと。
トルーマンは引き付けられた。金が必要なわけではなかったが、彼は19歳で、それは1万1000ドルだった。結局、彼は手放すことができないと決め、その代りに銀行の貸金庫に預けた。

それ以来、自分でも数回しかシューズを見ていない。そして最近、それでは誰のためにもなっていないと考えるようになった。
「私は35歳で、40歳もあっという間だろう。年をとればとるほど時間が経つのが早くなる。たぶん、あれを世に出す時期が来たのだと思う」

彼はオークション会社に連絡した。彼らはシューズが本物の逸品であることを確かめた。その試合の写真の中でジョーダンが履いているシューズと擦り傷が一致したのだ。(トルーマンの母親が食器布きんで拭き取るところを間一髪で止めたため、その傷は今も残っている)

オークションは11月18日に5000ドルから始まる。類似したアイテムは何万ドルの値が付くこともある。
しかし、トルーマンはお金ではないと言う。彼は安定した暮らしを送っている。彼はただ、ようやくアップルソースの話ができたことに満足している。

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No title

いつも貴重な記事を有り難うございます。
MJの好物まで分かるのが嬉しいですね、こういう記事は(^.^)

No title

ありがとうございます。

私も、グラハムクラッカーとアップルソースが“必需品”なんて知りませんでした。^^
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