足跡@シカゴその8

MJ's Chicago footprints:旧コミスキーパーク

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プロ野球選手になるためにバスケットボールから引退する3年前の1990年、マイケル・ジョーダンはブルズとホワイトソックスのチェアマンであるジェリー・ラインズドルフに1つ頼みごとをした。

「ホワイトソックスで打撃練習をさせてほしいということだった」と、当時ホワイトソックスの監督だったジェフ・トーボーグは言った。「それで、ジェリーから電話で依頼されたとき、私は『(打撃コーチの)ウォルト・リニアックは協力しませんよ』と伝えたんだ。ウォルトは、『彼はチームの一員ではない』と言っていたから。ジェリーは私に、『とにかく、マイケルに気まずい思いをさせたくない』と言っていた」

「私はジェリーに、『私がどうやって手を貸せばいいんです?あなたは私の打撃を見たことがありますか?』と答えたが(*生涯打率2割1分4厘)、それでも結局、真ん中の息子のグレッグを伴って、彼をバッティングケージへ連れて行った。大学時代に野球をやっていたグレッグは、ロースクールへ進むまでの間ブルペンキャッチャーをやっていたのだが、マイケルに投げさせることにしてね」

古い球場の二階のほこりっぽい室内で、最初の数投は、まあ、ダメだった。

「何も打てなくて、空振りばかりだった」と、ラインズドルフは言う。

「軽く打つことに取り組んだら少し良くなった」と、トーボーグは言った。「彼は明らかに素晴らしいアスリートだった。私は、『君はゴルファーだ。ゴルフでやることを考えてみろ。頭を低くして、オートマチックカメラが3度か4度シャッターを切る間、キープするんだ』と教えた」

「それは驚くばかりだったよ。彼はスイングをきちんと調整して、弾丸ライナーを打ち始めた」

彼らはケージを後にして、フィールドへ出た。打撃練習のために外野周辺に散らばっていたホワイトソックスの選手たちはゆっくり走ってきて、内野に並び、ジョーダンと笑顔を交わし合った。

「ウォルトは彼に打たる気がなかった」と、トーボーグは言った。「私は、『OK、打撃練習は終わりにして、最後の5分だけマイケルに打たせる』と伝えた」

リニアックが大股でどいて、ジョーダンはホームベースに立った。ソックスの選手たちは笑いながら新顔をからかった。

ピッチングコーチのデイブ・ラローチが投げ、ジョーダンは構えた。最初の数本はゴロだった。

「そのあと、マイケルは二階スタンドに打ち込んだのさ」と、19年後にトーボーグは笑いながら言った。「彼の中の偉大なアスリート、プライドの仕業だ。ボールを打ち砕きやがった」

「左翼だったよ」と、その場面を思い描くようにラインズドルフは言った。「二階スタンドの正面に当たって跳ね返ってね」

「そのあとも何本か良い当たりがあった。2、3本はすごく良い打撃だったが、あの二階スタンドへの会心の一打には、辺りにいた全員が'Whoooa.' だったさ。皆が興奮した。あれは楽しい出来事だったし、私も笑って笑って。でも、あの一撃はすごかったよ」

「別のプロ・スポーツに挑もうとしたとき、彼はもう30代だった。バットを手にしたのは高校時代が最後だったろう。それでも、私は自分が目撃したことに感動した。もしマイケルがもっと若い頃から本格的に野球をやっていたら、かなりの選手になっただろうと本気で思う」

-- Melissa Isaacson

*************

“伏兵”はたまにしか目立たないから伏兵なのであって、“伏兵の活躍による勝利”ってけっこう危ういよな~と気になっていた私はどうやらスパーズの肩を持っているらしいです。
一方で、今日のヒートはいい感じの勝ち方だなぁ・・・。
MIA 109 - 93 SAS レブロン:33pts, 11reb,4ast. ウェイド:32pts, 6reb, 4ast. ボッシュ:20pts, 13reb.
MJ時代のブルズだったら・・・と考えると、こういう勝ち方の方が安心できる。


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